キャッシングのマネしたい技術

したがって、この夢を実現したスーパースターたちが、一挙に富と名声を失うことになるというニュースが、どれほどファイナンス研究者の心胆を寒からしめたかは、容易に想像がつくのである。
 そこで以下では、L社がどのような方法で巨利を稼ぎ、どのように破綻したかを説明することにしよう。
いま証券市場に性質(満期、クーポンレート、信用度)がほとんど同じ二つの債券AとBがあるものとしよう。
このときこの両者の価格もほとんど同じになると考えられる。
ところが何かの事情で、Aが割高にBが割安になったものとしよう(市場は常に揺れ動いているので、極めて短時間であれば、このようなことが起こりうるのである)。
このとき有能なエンジニアが、複雑な計算を行って素早くこの差を検出し、割安なBを買い割高なAを売っておく。
そして価格が理論値に戻したときに、Aを買い戻しBを売れば、その収益から取引手数料を差引いた部分が純利益になる。
このように、市場の不完全性を利用した「裁定取引」(さや取り)がL社の利益の源泉である。
 しかし、理論価格からのずれは僅かなものである上に、取引手数料もバカにならないから、この取引で五〇%にも上る収益を上げることは不可能である。
ここに登場するのが、先物やオプションなどのデリバティブである。
これらの商品の場合、少量の資金でそれの何倍にも上る取引を行うことができる上に、取引手数料は現物取引に比べて小さいのである。
 これをレバレッジといい、ヘッダーファンドの多くはこれを四~五倍程度に抑えているといわれている。
しかしL社は、平均で三〇倍以上のレバレッジをとっていたという。
この結果、少量の自己資金を何倍にも膨らませて、巨大な利益を上げることが出来たのである。
 さて、これがうまくいっている間は良かったが、ここに予想を裏切る事態が発生した。
L社は、ジャンク債(支払い不能になる危険性が大きい代わりに高い利息を支払う債券)Aと、金利の低い安全な国債Bの間に発生する、理論値からの乖離を利用して利益を上げていたが、ロシアの金融危機が発生し、リスクを嫌った投資家がジャンク債を手離そうとしたために、その価格が暴落した。
この結果、本来は縮まるはずの金利差が逆に拡大し、巨大な損失が発生したという。
不運といえば誠に不運な結果であるが、万一の場合に対する備えを怠ったのは、資産運用に携わるものとしては、言い逃れのできないミスである。
 予測能力に限りがある人間にとって、起こるはずのないことを予め予想することは不可能である。
そこで投資家は、万一を考えてリスクの分散を図るのである。
ある特定の資産が特別有利な投資対象であっても、一見それほど有利ではない資産にも投資を分散させることによって、リスクを軽減するのである。
そうすれば平均的収益は減るであろう。
しかし分散投資によるリスクの分散こそが、資産運用の基本原則なのである。
 ところが、連戦連勝に気を良くしたL社のファンド・マネージャーたちは、自らの成功報酬を目当てに、ロングタームならぬショートタームで大きな利益を得ようとして集中投資を行っていた。
専門家の多くが、この破綻を自業自得だと考えている理由はここにある。
 この事件を契機に、ヘッジ‐ファンドに対してより強い規制を施すべきだ、という意見が強まっている。
また一時的には、このような放漫な運用を行っている会社に資産を預ける人は減るであろう。
しかし規制を強くすれば、ヘッジ・ファンドは国籍を離脱してオフショアへ逃れるであろうし、ほとぼりがさめれば、巨利を夢見る強欲な投資家が再びヘッジ‐ファンドに群がるかもしれない。
アメリカ人が、強欲を不徳と考えるようにならない限り、またこのような事件が繰返されるのではないだろうか。
 こう考えていたところ、最近の新聞報道では、一度死んだはずのL社がまたまた活動を開始するらしい。
“一旦失敗したヘッジ‐ファンドに資金が集まるかどうか不明である”と新聞記事は結んでいたが、強欲な投資家たちは彼らの復活に拍手を送っているのではないだろうか。
 一九八〇年代のレーガン政権時代に始まった、米国の知的財産権囲い込み戦略は、二一世紀を目前にしてますますその尖鋭度を強めている。
ここに起こったのが、「S社事件」である。
 この事件は、米国のベンチャー企業「Gグループ」が、一九九三年に「ハブ‐アンド‐スポーク」と呼ばれる特許を申請したのが発端である。
この特許は、「複数の投資信託基金を単一の口座にプールし、資産の効率的運用、管理費用の節約、税法上の利点の利用などを短時間で決定するシステム」に関するもので、申請後にこの方法を利用しようとしたステートーストリート銀行との間で紛争が持ち上がった。
 銀行側の提訴を受けた地方裁判所は、“この申請はビジネス遂行のための方法を対象としたものなので無効である”との判定を下した。
これに対して、特許を専門に扱う連邦巡回控訴裁判所(通称CAFC)は一九九八年七月、”ビジネス方法を対象とするものであるからといって、特許適格性を欠くという判断には根拠がない”として、歴史上はじめて「ビジネスーモデル特許」を認める判決を下したのである。
銀行側は直ちに最高裁に上告したが、最高裁は“判断に値しない”として上告を採用せず、CAFCの判決が確定した。
 かねてより米国では、プロパテント政策推進のために設立されたCAFCに持ち込めば、少々おかしな内容のものでも、かなりの割合で特許が成立すると言われてきたが、今回の判定は文字通り”衝撃的”なものであった。
 以上は、『中央公論』誌二〇〇〇年二月号に載ったT氏の記事からの引用である。
ところがこれに驚く間もなく、最近になって再びわれわれ金融工学研究者たちの度肝を抜くような事件が発生した。
C大学の有名教授T博士が申請した、「低喰い違い列を用いて(金融商品の価格評価などのために)シミュレーションを行う方法」が特許になったというのである。
 ハブ‐アンド‐スポーク特許にせよ、低喰い違い列特許にせよ、適用範囲が極めて多岐にわたるものである。
またこれらの方法は、これまで多くの人が利用してきたものであるから、特許付与の大原則である「新規性」を欠いている。
しかし一旦特許が成立してしまうと、これを覆すのは容易なことではない。
実際、現在東京高裁で、新規性のないカーマーカー特許の取り消しを求めて争っているが、これには途方もないコストと時間がかかっている。
 ハブ‐アンド‐スポーク特許に関するCAFC判決の根拠になったのは、一九八一年に最高裁が下したディーア判決である。
これは、自然法則や数学公式などは特許の対象とはならない。
しかし数学公式を一部として含む特許申請において、全体として考えたときには特許の対象となる機能を実行するプロセスにその公式が応用されているときは、申請は特許の対象となり得る。
という理由で、はじめて数学的アルゴリズムにもとづくソフトウェア特許を認めた歴史的な判決である。
 この判決以来、米国ではソフトウェア特許が洪水のように成立した。
カーマーカー特許事件との関係で、この判決文を誦んじるまで何回も読んだ筆者は、”ソフトウェア特許の次はビジネス特許、そしてついには情報特許までゆくだろう“という米国の法学者S教授(P大学)の予一言を思い出していた。

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